2007年10月19日金曜日

車から自転車へ


14日(日)に無事に復帰戦を終え、今、とても多くの方々から
山口選手の復帰を祝うメールやお電話やお手紙をいただき、
こんなにも山口選手のこの復帰を心待ちに、そして
一緒にお祝いをしてくださる方々の存在に
嬉しい悲鳴をあげています。(ご返信が迅速にできず、ごめんなさい)

何でもそうですが、人間、1回や2回の頑張りは、踏ん張りもきくし
自分自身もハッピーでいられると想像します。
山口選手をはじめ自転車選手の方々の
「ご立派だな〜」と思うところは、その頑張りを継続して・・・
続ける、という点です。

4月のシーズンインから10月の最終戦まで、
レースに結果を求めて走り、やっとオフだと思うと、
「オフがシーズンを制する!」、で、また走り続ける。黙々と。

強い信念を持ち、己が志したその道を突き進む勇気も
努力も元気も私にはありません(言い切ります)。

ただ、
今年、ホノセンを走ってみて自転車ってすごいんだ!
ということは気づくことができました。
私の場合、今年の挑戦「その1」である
ディズニーハーフマラソンの約21キロの道のりは
走る(私の場合は、歩く)のがやっとだったのに
今年の挑戦「その2」のホノセンでは120キロを走破!
自転車でならもっと、もっと遠くへ行ける。

素晴らしい。自転車って。

今、ガソリンがとても高くて、涙が出ますが
こんな時こそ自転車です。
車から自転車へ乗り換えるチャンス☆と思っています。

2007年10月16日火曜日

それぞれの旅立ち


皆さんもうご存知かと思いますが、トレックの野口忍選手と
ブリジストン・アンカーの鈴木雷太選手が、
先日の最終戦で引退をなさいました。

野口さんも雷太さんも10年来の仲間であり、山口選手と一緒に
このMTB業界を先導してきた選手です。
所属するTEAMは違っても、私はMTBという名のTEAMであったと
思っています。
特に野口選手は、私、個人的にも大ファンでしたので、
彼の新しい出発を心から喜ぶには、ちょっと時間が必要かもしれません。

彼が決めたこととはいえ、もう少し走る姿を観たかったし、
彼の奥様は私の数少ない奥様友達のひとりで、
いつも愚痴を聞いてもらい、元気をもらい、私達もTEAMだった。

数年前、山口選手が台湾で負傷した時も野口選手は
明日レースだというのに病院に付き添ってくれ、
今年の負傷時にも、レース期間中で一分一秒惜しい時だというのに、
しかも、ご自宅が反対方向だというのに、
わざわざご夫妻で山口選手のお見舞いに来てくれました。

あ〜あ〜・・・
来季は、レース会場に行く楽しみが減ってしまった。

レースの場だけでなく、野口選手と山口選手の会話・・・
いつもそこには大爆笑の渦がありました。
先日のレースでも山口選手が少しだけ早くゴールをしたのですが
野口選手がゴールをしてからの二人の会話には
淋しさなんてみじんもなくて、笑い声に包まれました。
いいな、こういうの。

15年間、走り続けてくださって本当にお疲れ様でした。
そして、たくさんの夢と希望をありがとうございました。
野口さんや雷太さんの新しい旅立ちを
私も陰ながらこれからも応援していきたいと思っています。

だって。

私達はTEAMだもの!

画像は山口選手の専属カメラマンをお願いしている、そして
自身も今年からスポーツクラス(石川大会では73位と大健闘!)で
走っている遠藤弘樹氏と一緒に「サイン☆をもらいに」
トレックテントに伺った時の一枚です。
野口さんからプレゼントをしていただいたボトルは一生大事にします!

野口忍選手、鈴木雷太選手、お疲れ様でした。
ありがとうございます!をいっぱい いっぱい込めて。

2007年10月15日月曜日

本当に、本当に。


山口孝徳選手の復帰戦が無事に終わりました。
11位でゴールです!
欠場をしていたため、ポイントがゼロ=最後尾でのスタートとなり、
どこまで追い上げることができるのか、
そしてまた転倒したらどうしよう・・・
試走中もレース中も、
1周1周、無事を確認しながらのサポートとなりました。

(画像をご覧下さい。これ、スタート前の瞬間なんですが、
最後尾スタートの山口選手の後ろには、誰も、だれも いない のです。
毎回レースサポートでENDLESSのパラソルを持ってくれる なほちゃん。
今回も本当にどうもありがとう!)


この気持ちは私だけでなく、スタッフもそして、わざわざ山口選手に
声援を送るためにご来場をいただいたファンの方々、
自宅から思い続けてくれた方々、
親愛なるTEAMのみんな・・・
全員がほぼ同じ気持ちで、レースを観戦していたに違いありません。

本当に、疲れました。

そして、嬉しかった。スタートもゴールも。

7周回(42キロ)で行なわれたレースは、スタート直後に登りがあり、
その後シングルトラックに入るため、最後尾からのスタートだし、
渋滞して、きっと抜けないはずだ・・・
私はどんな状況も受け入れる心づもりでいましたが、
正直、キツイな、これは。と思ってしまっていました。

が。

山口選手は1周目を終え、2周目に入る頃には40番、3周目30番、
4周目20番・・・5周目15番・・・
と順位を上げ続け、こちらも「もしや・・・!」と期待しました。
ところが、道中でチェーンが外れてしまうなどのトラブルが何度かあり
(最終周回であとひとりを抜いてくれ!!と念ずるものの)
1がたくさんあって縁起がいい!?11位でゴールとなりました。

1レースで60名近くを抜いたわけですから、その意味では
「最多追い抜き賞」!笑

私の数え違いでなければ、80%ルール適用により、この日、
完走したのは13名です。たった13名。

山口選手から聞いた話では、やはり3周目くらいまでは下り坂にかかる度に
開幕戦前日に転倒をしたあの瞬間がフラッシュバックして、
身体が固まってしまったそうです。
身体が不完全な中でのレースですから、再転倒は避けたい。
というより、むしろ、転倒したらもうその場で乗れなくなってしまう。

長い長い1日でありました。

戦うべき相手が自分自身なだけに、怖かったに違いありません。

私は所詮、他人ですから、山口選手本人の気持ちはわかりません。
けれど、あの場にお集りいただいた30人を超えるファンの方、TEAM員、
スタッフのみんな、会場には来られなくとも、各々の場で、
山口選手の復活を信じて、
迎えて、乗り越えて、戦い抜いた今大会は
全員が一丸となって、共に走りきったのです。
みんなで一緒に。
この11位を皆で分かち合いたいと思っています。

メールもお電話もたくさんいただきました。
全部、頭の中に入れました。記憶の中に大事に保管します。
熱いメッセージのそれぞれが、山口選手の背中を押してくださいました。
本当に、本当に、どうもありがとうございました。
(携帯の充電池が途中で切れてしまったので、ご返信もご連絡もまだ
全ての方々にできておりません。ごめんなさい)

今日から、山口孝徳選手は新たなシーズンが始まりました。
来季までのこの半年を、乗り込んで完全復活を果たす!と宣言しています。
今日は簡単なレポートになりますが、3年ぶりに脚が回っていたことを
ご報告をしてブログを終えたいと思います。

たくさんのご声援をありがとうございました。
心の底から御礼申し上げます。
ありがとうございました!!

2007年10月11日木曜日

いざ☆石川大会へ


トレーニング期間が2ヶ月と不本意かもしれませんが
山口孝徳選手はようやく07年のシーズンイン!!となります。

明日の早朝、自宅のある長野から最終戦の会場である
石川県瀬女高原へ出発します。

久しぶりのレースなので、用意するものに不備がないか、
あれは持ったか、これは持ったか、
あっ、それはいらないんだっけ・・・
などと、慌ただしい荷造りに追われましたが
レースに復帰できるかどうか、
自分の足でまたペダルを回せる日がくるのだろうか・・・
時が経ってしまえば、それらの悩んだ日々も
今では過去のものになりました。

大勢の方々にご心配と励ましのメッセージをいただき、
1年に1度だけイベント会場でお会いするだけのファンの方からも
千羽鶴を贈っていただいたり、
マネージャーもしっかり食べないと!と
支援物資(私の大好きな洋菓子など)を送り続けてくれた友人たち。

特にTEAM員のみなさんとスタッフには
御礼の言葉も見つからないし、ありがとうございます・・・だけでは
本当に、私の気持ちは表せません。

心の底から感謝を申し上げます。

レースに臨む選手に2番や3番を目指す人はいないでしょう。
誰だって優勝を目指して、最高の走りを信じて、スタートラインに
並ぶはずです。
(言い切ってしまって、すみません。
けれど、世界での走りを視野に入れてトレーニング続けている
山口選手には、山口選手が目指すものは自分自身が納得ができる結果
=走り が「優勝」となるのです)

ガンになっても負けない。
大けがしても負けない。
それは全部、自分自身への挑戦、だから。
自分で自分にNGは絶対出さない。

山口選手へのご声援をどうぞ宜しくお願いします。

追伸:おいらクンの件では、たくさんの方々にメッセージを
   いただき、本当にどうもありがとうございました。
   殆どの男性は「飼い主さんの元へ帰れてよかったんだよ」と
   私に言い聞かせるように言ってくれますが・・・

   やだ。

   やだ、やだ、やだ!!やぁ・・・だぁ・・・涙。

   女性の方々の大半は
   「つらい感情だけが残っちゃって・・・ツライよね・・・ほんとに」
   と私の気持ちを理解してくださいます。

   冷たい?!現実でなぐさめようとしくてれる男性と
   感情に沿って共感してくれる女性のみなさん。
   今の私には、どちらも受け入れたいのに、できなくて・・・あぁ〜涙。

   もう少しだけ、泣かせてください。
  
   石川大会では、私もサポート、がんばらなきゃ!!

2007年10月10日水曜日

おいらクン保護者の元へ


今日は嬉しくて、悲しくて、つらい一日の始まりになりました。

おいらクンの保護者の方が警察へ捜索願を出していて
私も警察から電話連絡を受け、先ほど、
無事に保護者の方へ おいらクン を引き渡しました。

おいらクンの本当の名前は「じゅんクン」だそうです。

泣けて、泣けて、泣けて、泣けて、泣けて、
脱水症状になりそうです・・・。

100%の心で喜ぶべきなのでしょうが、
すみません・・・私はそれが出来ないままでいます。

レースやイベントなどで不在がちな身(移動民族)に加え、
たぶん、こんなにかわいいコがいたら、
私は一切の山口孝徳選手のサポートから手を引くでしょう・・・
それが、その想像が、かなり現実味の強いイメージで見当がつくだけに
今はまだ「その時」ではないと、自分に言い聞かせています。
イッショウケンメイに。

お別れのとき、おいらクンにはハタ迷惑で
イヤだったろうけれど、私はやってしまいました。

ムギュっと・・・抱きしめ・・・ました。

向こう1年間はこのぬくもりと感覚が消えないように。

これから部屋の大掃除を開始します。
この涙を早く止めないと、今日、仕事が何もできない。

おいらクンのためのバスタオル、
おいらクンのためのスティッチのぬいぐるみ、
おいらクンのための食器、
おいらクンのためにおトイレ、
おいらクンのための首輪にリード、
おいらクンのための・・・ための。。。ための・・・号泣。

あのコガ残していってくれたこの感情と、今日は一日
戦って・・・いえ、どっぷりと浸かっていたいと思います。
あのコのために、と、寄り添った時間は、本当はあのコ以上に
私自身のためでもあったと、
私は認めます。
素直に。

許して下さい。
今日は私、仕事、できません!

2007年10月9日火曜日

おいらクンを保護しています


突然ですが、本日17時頃、長野県上田市の某所で
画像にあるマルチーズの成犬(たぶん6歳〜7歳くらい)を
保護しました。

警察と保健所には届けを出したのですが、
時間が時間であることと、警察では(かわいそうだけれども)
外につないでおくしか出来ません・・・ということでしたので
15年くらいほど前に「健ちゃん」というマルチーズを飼っていた
ことがある私は、自宅に連れて帰りました。

それからは、必死に犬と一緒に生活をすること、ルールを
思い出したり、実家の両親に相談したり、
ホームセンターでエサとトイレと食器をたんと買い占めて・・・
時間があっという間に過ぎていきました。

現在、とても良いコに眠っています。

今日はさぞかし不安で、ドキドキで、辛かったかと察しますと
私も胸が詰まります。
でも、保護者の方が見つかるまで、責任を持ってしっかりと
お世話をさせていただく決意でいます。
(本音はこのまま「うちのコ」にしたい!!)

ホームセンターに行った時に、店員さんにショックな話も聞きました。
爪切りに訪れてそのまま引き取りにこないお客さん・・・
ペットホテルにあずけて、そのままのお客さん・・・

人間はいつから命ある動物に無責任になってしまったのでしょうか。
粗末にしていい命なんてひとつもないのに・・・
もちろん、そんな飼い主さんばかりではないことも百も承知です。
でも、このコの寝顔を見ていると、そのぬくもりを感じると
そんなことを想像しては、
いたたまれなくなります。

不思議なのは。

先日訪れたホノルルで、いつか飼う予定で!と勝手に想像して
私は購入したのです。
犬の首輪とリード。
今、このコはそれを付けています。

このご縁が短い時間のものになるのか、それともこれからずっと
このご縁が続いていくのか、それは誰にもわかりません。
でも、一緒にいられるこの時間を大事にするために
そしてお互いの存在を尊ぶために、私は名前をつけました。

おいら クン

山口選手と私が尊敬と絶対の信頼をおいている
デザイナーさんからいただき、名付けました。

今週末は石川県に遠征があるので、おいらクンも連れていく予定です。

こんな小さな身体で、懸命に生きて、そして、この現実を
受け入れようと、理解しようとしている(たぶん)姿に
涙が流れて仕方がありません。

どなたか、おいらクンの保護者の方をご存知でしたら、
かわいいマルチーズの男の子をお捜しの方がいらっしゃいましたら
どうかご連絡をお願いします。

2007年10月5日金曜日

☆ホノセン☆



ホノルルセンチェリーライド(以下ホノセン)から無事に
帰国しました。
1日の最高走行距離24キロのこの私ですが
50マイル(80キロ)にエントリーをして
ぬわんと!
75マイル(120キロ)を走破☆してしまいました。

この模様は「月間バイシクル21」にて掲載を予定しておりますので
どうぞお楽しみになさってくださいませ。
(なので、詳細は書けません。ごめんなさい)

私は常々、頑張ったことは絶対に自分自身を裏切りはしない
と信じて生きてきましたが、ホノセンも
(私の場合は、ちっぽけな努力に過ぎませんが)
スポーツが大の苦手ときている私にも
ゴールという栄誉を与えてくれました。

今となってはどうして、50マイルの折り返し地点で
引き返さず、そのまま進むことを選択をしたのか
理由がハッキリとわかりません。

私のこの「前進あるのみ!」という性格に加え、
景色が美しいとか、ライダー達との触れ合いやエールの交換、
そして、ホノセンのスタッフの方々の気遣いや
エイドステーションでの補給食・・・????
いろいろと考えてはいるのですが、私の心にガッチリと重なる
言葉や出来事が、今日になってもまだ見つけることが
できていません。

なぜなら、約8時間をかけてのMTBによる(それもレンタル)
走行の全ての時間が、私には「最高の瞬間」だったから、です。
どの時間が欠けても、私の8時間は成立しません。

でも、人を動かすだけの何かがそこには必ずあったはず。
私はしばらく、そのことを考えてみたいと思っています。
(ご心配なく。ちゃ〜んとブログは更新します。笑)

ホノセンをもって、私の「07スポーツを頑張ろう月間」は
終了となりますが、私は昨年でも、来年でもなく、今年・・・
2007年に挑戦をしたハーフマラソンとロングライドのことは
生涯忘れることはないでしょう。

だって。

苦しかったけれど、
身体はしんどかったけれど、

楽しかった、から。

うん、楽しかった。
道中で出会った皆さん、
お疲れのところ取材を快く引き受けてくださった皆さん、
スタッフの皆さん、
沿道で大声援を送り続けてくれた皆さん、
本当にどうもありがとうございました。

10月14日(日)は、いよいよ山口孝徳選手の復帰戦の
石川県瀬女高原大会です。
マネージャーが目標を達成したんですから、次は山口選手!
がむばってください☆