2008年4月30日水曜日

脱メタボ!


年を重ねるごとに、冬の間についた脂肪が春になっても
ストンと落ちる(消える)ことがなくなって、悲しい現実。
頭でモヤモヤと考えていても、何も始まらないので
この4月から半年以上ぶりに、MTBに乗り始めていました。

行動が何かを生み出す・・・と私はいつも信じてきました。

でも。この1ヶ月、ぐわんばったのに、500g減っただけで
その減った場所が特定できないうちに4月も終わるとしています。
トレーニングって 孤独 ですね・・・いろいろな意味で。

複雑な おばちゃん心 を抱えている私に向かって、山口選手は言った。

「年とって代謝が落ちてるんだから、結果を求めるの、早いんじゃない」

くそ〜!
もう1回言わせてほしい。
くそ〜!!
こんなセリフを言われてしまう自分自身が情けない。

でーも。
いつものワタクシに戻ってしまうと、実家の両親が心配するんですね。
「あら、やだ、ご飯食べてんの?」
「どこか具合でも悪いの?」
なーのーで。
お菓子を食べるのもやめないし、MTBで走ることも続ける。
最近は、おいらくん のお散歩もあるしね!
あ〜あ。
他人事だと思っていた「脱メタボ宣言」だったのにな。

おいらくん はようやく3kgになりました!

2008年4月29日火曜日

グリコ ジャイアントコーン

先日、私の家族のことを少し書いたところ、
もっと読みたい!などと嬉しい連絡をいただきました。
ということで、ズにのって、今日は私の父のことを書きますね。

私が中学生の頃に入院していた大学病院での思い出です。
当時は今のようなコンビニがぜんぜんなくて、
大学病院の前にあるのは、シブい食堂と医大生専用の本屋さんぐらいで
唯一の楽しみは病院内の売店のみ、でした。

手術を3日前に控えた晩、父はその日も、いえ、毎晩、
お見舞いに立ち寄ってくれました。
(父の会社から病院へは片道1時間、しかし、
病院から自宅へは父の定期券ルートだと2時間近くかかりました)

今思えば、くだらない話しかしていないんですが、
当時の私には貴重な、大事な父との時間でした。
個室にいたせいもあって、夜の暗さとシーンと静まりかえる病棟&病室が
こたえました。いつも父がその日最後の面会人だったから余計です。

父が帰り支度をした時に、なんの脈略もなく
「アイスが食べたい」と、私は言い出しました。
父は「こんな夜にもうどこにも売ってないだろう。我慢しなさい」と
病室を後にしました。

私は別にアイスが食べたかったわけでもなく、
父にわがままを言いたかったわけでもなく、
ただ、ただただ、ひとりになるのがイヤで言ったように記憶しています。
(計算はなし、で)

30分くらいたって、病室をノックする音がしました。
父が、私が当時大好きだったグリコのジャイアントコーンを
買ってきてくれたのです。
それも、バニラアイスは溶けてドロドロ、
よって、コーンの部分はベッタベッタ。

食べたかったわけでもないあの時のジャイアントコーンが
今でも私の好物ですが、父のことを思い出す品でもあるのです。
これからもきっと私はジャイアントコーンを見る度に
父の優しい気持ちを思い出すことでしょう。
(なんだかとても美しいブログの終わり方が、できそうです)

私だったら、熱い夏の日に、いくら涼しい夜とはいえ、
せっかく駅に行ったのに、娘が食べたがっているアイスを、
しかも好物のジャイアントコーンを探して、
また病院へ戻ることはきっと、出来ない。
100%の気持ちを相手に無条件で、しかも、そっと、
そっと差し出す術を父の背中で学びました。
私ならきっと「〜してやったかんね!」などと恩着せがましいことを
言ったり思ったりするにきまっているから。
親ってありがたい。

あっ、でも、出来るかも!おいらくん には!!
いえいえ、させていただきますとも☆

山口選手には、ハッキリ、キッパリ申し上げて・・・
出来ません!できやしません!!
だって、疲れているもの、自分が。
だっははは!←笑って終わらせます、今日のブログ。
やっぱり私には、ブログの最後は「笑い」で締めます。

2008年4月28日月曜日

休日とシンガポールのクラッカー

パソコンの調子が悪いので、今日は画像なし!でお送りします。

みなさんは、今日の休日は楽しかったでしょうか?
私は おいらくん のお散歩と、祝日セール☆を狙って(笑)
近所、いえ、下山してちょっと大きなスーパーへ出掛けました。
お出かけ用のジャージを来て。ぷぷぷ。

店内が予想通り混んでいたので、いつもなら立ち寄らないコーナーの
散策をしてみました。
そこで目に入ったのが・・・明治のクラッカーです。
このクラッカーには思い出がありまして。

私は心友とかれこれウン十年、世界の動物園を目指し旅を続けています。
動物は野生で育つのが1番!とか、今、この場で
動物園を否定したり肯定したりする気はありません。

事実として、私から会いに行かないと動物達には会えない のですから
私は会いに行っています。
そして間違った見解かもしれませんけれど、もし、檻の中にいるあのこ達が
動物園を訪れる人間達をみて、
「人間っていう生き物は俺たちと違っておもしろいな!」などと、
檻の向こうから笑ったり、感じてくれたら嬉しいと私は思うのです。

しかも、動物園の動物達は、自分達のエサ代を自分達の存在(入園料など)で
稼いでいるわけで・・・。

私と心友で旅に出る時に決めていることがひとつだけあります。
この約束はウン十年ずっと守られています。
それは、動物園にお金がたくさん集まる(おちる)ように、
とにかく動物園で飲み・食べ(水1本たりとも持参しません!)、
お土産もモリモリ買って、そんでもって、
動物達との記念撮影会は惜しまず参加!
ライド系だって必ず参加しちゃっています。
(自分のヘビーな体重を棚にあげナンですがっ)

話が横道にそれてばかりで恐縮ですが、
実は、私、もう7〜8年になるかもしれませんが
ヒトと動物の関係を学ぶ為に「ヒトと動物の関係学会」の会員でもあります。
ですから、いろいろな国を巡りながら、動物や来園者のウォッチングを
旅の楽しみにしているわけです。

動物園ネタだと、ほんとに、長くなってすみませんけれど、
どこの国に行っても動物園だけは平和でヒトも穏やかです。
地球上で本当に魅力的な場所・・・動物園が私は好き!

話を元に戻します。

シンガポールの夜の動物園・・・ナイトサファリに憧れて心友と行った時、
(だいぶ前の話なので今は変更があるかもしれませんが)
その日は、開園前からチケットブースに並び
(もちろん入場だって地元の人にも負けません!笑)
閉園までいろいろな動物達と触れ合いました。
中でも「オラウータンとブレックファースト☆」なる催しは、
私の心の中に深く刻まれています。
心友はこの日の為に、デジカメを新調し、スタンバイ。
(その意気込みに私もウキウキ感が倍増!
その時、私はまだフィルム式のカメラだったので、
予備のフィルムを360枚分持参していました←それでも足りなかった!)

夜の動物園が始まるまでに一端退園しないとならないシステムだったので
メインイベントの夜に備えるべく、
私と心友はその時間を辛抱強く待ちました。

で、ナイトサファリ!
自分で歩くのではなく、
英語のアナウンスが永遠に鳴り続ける乗り物に乗せられて、出発。
で、
すぐに出口に到着。
終わり。

え!ええ!エエッツ!!と、
憧れ続けたナイトサファリが一瞬で終わりました。

翌日、この事実を受け止めるべく、私と心友は市内にくりだし、
何か記念になるものを物色し始めました。
ナイトサファリの記念に私が買ったものは・・・今でも覚えていますが
(販売しているものは昼間の動物園の売店とまったく同じ!)
ハンバーガーショップの「おまけ」として売られていたキリンの顔と動体が
フエルトの生地で縫われている「しおり」。
しかも手縫い。
しかも、しかも、ナイトサファリからホテルに戻る頃には、
接合部分の糸がほどけてしまい、私のキリンはバラバラに。
なんだったんだよ・・・ナイトサファリ・・・。

悔しかったので、市内で何か買う為に立ち寄ったスーパー。
でも、私が気持ちよく買えるものが何もない!
悔しさ絶頂の私は、明治のクラッカーを「箱買い」していました。
(日本で販売しているものよりはるかに、はるか〜にビックサイズ!
みかん箱くらいの大きさです)
あと、バスマット5枚とミルク成分の石けん20個
(↑なんでこんなものに惹かれたのか?)

帰りの空港で、泣きをみたのは言うまでもありません・・・

明治のクラッカーをみると、上記のような思い出がぶわ〜っと
私の頭の中によみがえりました。
それもスーパーの店内で。ひとり。

私のせっかくの休日は、こんな感じで悔しさと、
今はどこにあるのか不明な「キリンのしおり」を思い出して終わりました。

長くなってすみません!

2008年4月27日日曜日

日曜日の買い物 その1 姉への詫び状


子どもの頃は、日曜日の買い物が大好きでした。
パパっ子ちゃん&お姉ちゃんコだった私は(もちろん母も好きですが)
家族皆で出掛ける 日曜日の買い物 が
毎週毎週楽しみで仕方がありませんでした。

子どもの頃、入院生活が長かったせいか、私はキツイ性格なのですが
家族は私に甘かった。それは優しいをとっくに通り越している感じに
やさしかった、みんな。

父は(そのころの私は病院から栄養管理を厳しく言われていたのに)
「内緒だぞ」と、私に好物の 焼きとり を買い与え、

姉はあねで「えみちゃんが好きなやつ!」と文房具からおやつ、
ハンカチ(どうぶつ柄のかわいいやつ)、
ティッシュ(これまた通常家で使用している殺風景なBOX型ではなく、
動物柄のキュートなBOXに入っているやつ)、
ミッキー(当時はいまのようなキャラクター商品があんまり存在していなく
サンリオやディズニーではミッキーくらいしか物がなかった)の
置物など、自分のお小遣いの殆どを、妹の私の為に使っていたように思う。
それも笑顔付きで。
(私にはマネは絶対にできません!)

それなのに、私ときたら寝たきりの間中なら理解もできようが
入院→再入院→手術→また入院→リハビリ→入院→退院→また病院生活・・・
この間、ずっと家族の愛と優しい気持ちに包まれて過ごしました。
なのに、言いたいことは言わせてもらうわ!というこの性格のため、
姉は傷ついて、泣いていたにちがいない。
私が100%悪くても、ケンカの後、泣いていたのは
いつも お姉ちゃん だった。
すまん。
ほんとうにすまない。

たぶん、今の姉が私の姉でなかったら、私は極悪非道の限りをつくし
今よりもさらにイヤは人間になっていただろう・・・

気持ちを綴っていたら、会いたくなってしまった。
お姉ちゃん、元気かな・・・

今日、なんでこのような内容になったかというと、
夕方、スーパーに買い物に行ったら姉に手をつないでもらい
お菓子を一生懸命選んでいる姉妹に出会いました。
どこの家でも「お姉ちゃん」はみんな優しさで出来ているだっ!
とジーンとなりました。
本当のことを言うと、涙が出ていました。私。知らないうちに。

だから私は極力日曜日は家に居たいのであります。
楽しいショッピング中に「半泣きのヒト」がお菓子売り場にいたら
怖いですものね。

明日からの1週間、またがんばりましょうね☆←特に私!